2006.9.20

2006年7月8日(土)。
第13回 岡山理科大学埋蔵文化財研究会にて、現在、黄島貝塚 を調査研究している社会情報学科の学生
  佐藤弘和 君(04生,小林ゼミ所属)
  池澤恵梨さん(04生,志野ゼミ所属)
  小沢加枝さん(04生,小林ゼミ所属)
  内藤博 君(04生,小林ゼミ所属)
の計4名が、黄島貝塚の調査報告 「黄島貝塚確認調査概要報告(2)〜発掘記録の整理と出土遺物〜」について発表されました。
これは、平成11年の岡山理科大学埋蔵文化財研究会にて、 瀬戸内市教育委員会社会教育課の若松挙史さんが 公表された第1回目の概要報告に続いての調査途中の発表です。
また理大埋蔵文化財研究会とは、 岡山理科大学の卒業生で各自治体の埋蔵文化財専門職や、 公、私立の博物館学芸員職に就いている人々、 そして中、高校の教員で考古学等に関心のある人々と、 理大の教員が相互に横のつながりを持ち、年に1回、情報を交換、研鑽を深めることで、 互いの知識、技術の向上を目指すことを目的とした研究会です。 1994年に設立され、現在会長は社会情報学科の小林博昭先生。 事務局は自然科学研究所の白石 純先生が担当が担当されています。

今回は、その時、発表された調査報告の内容(牛窓町の遺跡分布、黄島の地形、黄島貝塚の発掘調査、黄島貝塚からの出土遺物について)を皆さんに、ご紹介いたします!


1.旧牛窓町内の遺跡の分布について

 岡山県瀬戸内市牛窓町には、現在80を超える遺跡が確認されています。旧石器時代の遺跡はあまり見られません。
 しかし縄文時代になると多くの散布地の遺跡が沿岸部近くや諸島内部などで見られるようになります。
 縄文時代に関する遺跡は長浜地区に集中しており、出土遺物は、石器類が主体を占めています。
 そのため所属時期の区分が難しいといわれ、また1つの遺跡から様々な時代に関する痕跡も重なるため困難だともいわれています。
 しかし、一部の遺跡では縄文早期の特徴を持つ土器・石器類を確認することができ、 中でも黄島貝塚は、縄文時代早期(約8000年前)の特徴を明確に示した遺跡です。
 また牛窓町において縄文時代の正確な時期区分ができる遺跡数は、草創期は1遺跡(長谷遺跡)。 早期は4遺跡(黄島貝塚、黄島遺跡第1地点、黄島遺跡第4地点、黒島貝塚)が知られており非常に数少ないことが分かります。
 では、何故こんなにも縄文時代に関する遺跡の分布が乏しいのでしょうか?
これは温暖化の影響、湿潤化の影響、縄文海進の影響、 居住面積の減少による他地区への移住影響、食料変化による移住影響、未発掘地域に分布の可能性(海面下を含む) などが原因ではないかと考えられます。
 

2.黄島について

 瀬戸内市牛窓町の黄島は、北緯 34°35'53" 東経 134°11'25"の位置にあります。
  牛窓港からは、3.8km(南東)。黒島からは、3.4km(東南)。前島からは、2.6km(南)。青島からは、1.4km(南南西)離れていることが確認されています。
 島の大きさは、周囲(海岸線総長)は、4km。東西幅は、0.9km。南北幅は、0.3km。面積は、0.6kuです。また島の最高峰は、標高59mです。
 黄島内には、6つの遺跡(黄島貝塚、黄島遺跡第1地点〜第4地点、黄島北海岸遺跡)があります。

3.黄島貝塚について

 遺跡の範囲は、257.8uと考えられ、標高は15mあります。
 今回、平成16年度に瀬戸内市教育委員会によって、 発掘調査された調査範囲は111.5u で、貝層が確認された面積は53.1uです。
 次に過去、他に調査された大学、研究機関などの資料をもとに調査すると、 黄島貝塚の調査面積は、175.4uと考えられます。
 その中でも、貝層が確認された範囲内での調査区は、110.4uです。
また瀬戸内市教育委員会の調査時での貝層確認合計面積は、23.9uです。
 つまり、貝層確認範囲内での調査比は、43%でありまだ半分も発掘調査が行われていないことが分かります。
現在、黄島貝塚は、町内指定の史跡となっています。

黄島貝塚発掘のトレンチ図(若松挙史2004参考)

4.黄島貝塚の発掘調査について

 前文でも述べたように黄島貝塚では過去にも様々な大学や研究機関が発掘調査を行ってきました。
 

そして今回、平成16年度に瀬戸内市教育委員会によって行われた発掘調査では、 1m×1mのグリッド、幅0.5mのトレンチを3本(T3・T4・T5)、幅1mトレンチを1本(T2)、 幅2mトレンチを1本(T1)、幅0.5m×18mの長大なトレンチ(T6)、サブトレンチ数本という方法で調査されました。
 この方法により、遺跡の範囲T3・T5・T2・T1の一部で貝層が確認できませんでしたが、貝層の広がりの範囲を点線内に絞り込むことができました。 そして、T1・T4・T5で貝層が確認できたので、貝層の広がりの中心は、T1・T4あたりにあることを推測できます。
 また土器・石器の分布の中心は、表が示すとおり、T2からT1にかけて存在し、貝層の分布と土器・石器の集中部分は必ずしも一致しないということが分かりました。 ただし、既に調査済みの調査区の分布状況がわからないため、今後の検討課題として取り組みたいと考えています。
 次に調査した範囲の内容・概要について述べます。まず地形は、現在の地形図を見ると、 地形が南側の海岸線に続く谷にむかって緩やかに傾斜していることが分かります。
 そして、トレンチを掘削して、地表面以下の地形を観察すると現在の地形は旧地形とほとんど変わらないことが分かります。  層位については、表土から深さ約1mにわたって土層が堆積していることが確認され、 堆積土層は、発掘時10層区分されていることが分かります。
 堆積土層の下層については、T5のU層より下位で混土貝層(X〜Z層)を確認できます。
また土器・石器は、T2の3層より下位で確認されています。
 

5.出土状態について

 分布図(平面・断面)からわかることは、混土貝層の上層(T5のX層)はハイガイを主体です。
  混土貝層の中層(T5のY層)は、ハイガイとヤマトシジミが混じった状態です。 混土貝層の下層(T5のZ層)は、ヤマトシジミを主体です。 堆積土層の下層(T2の3層)より下位に縄文土器が集中します。 縄文土器と石器は、ほぼ同じ深さから出土するということが分かります。


出土遺物の分布図

 次にT2の詳細分布について述べます。 T2の出土遺物は、3次元の座標を記録しながら取り上げており、そのため平面・断片のプロット図を作成できました。
 平面分布を見ると縄文土器はT2の東側に集中しており、縄文土器・石器は、プロットしたドットがほぼ重なるため、同じような出土状況と考えられます。
 垂直分布を見ると、縄文土器は下層(3層下位)に集中しており、縄文土器と石器は同じレベルで出土し、やはり同じような出土傾向であることが分かります。
 しかし、分布図を詳細に検討するためには、混土貝層と土器・石器の分布を比較しなければなりません。またトレンチ間の層位の照合をしなければなりません。そして混土貝層とT2下層(3層)下位に含まれる縄文土器の違いを検討していく必要があります。

  
土器の分布図                       石器の分布図

6.出土した土器について

 今回、黄島貝塚より出土した土器の総点数は、現在の調査時にて2095点が確認されています。土器の文様は、有文と無文があります。
有文については楕円文・山形文・格子目文が確認されています。  これらは、押型文土器といわれています。この押型文とは、彫刻を施した丸状の棒を土器面に回転させてつけた模様のことです。
 土器は赤褐色の薄手で、胎土に砂粒、角閃石、斜長石を含んでいます。 また土器の底部は突底や丸底で平底はほとんど見られません。
器壁の薄いものは小型の優美繊細な模様の土器で、厚いものほど大型で粗大な模様となっています。

  
     押型文土器(楕円)の欠片                 石鏃・石鏃未製品

7.出土した石器について

 今回、黄島貝塚より出土した石器(礫をのぞく)は、現在の調査時にて350点が確認されています。
その中でも、縄文時代のものは346点。旧石器時代のものは4点が確認されています。
 縄文時代の石器については、サヌカイトが、310点で比率が89%。チャートが、4点で比率が1%未満。片岩が、1点で比率が1%未満。 花崗岩が、3点で比率が1%未満。その他不明なものが、28点で比率が1%未満と確認されています。
 器種について、剥片素材は石鏃が、6点。石鏃未成品が、3点。石核(?)が、1点。 2次加工を有する剥片が、4点。剥片・砕片が、315点が確認されています。
 また礫素材については、打製石斧(未製品)が、1点。石核が、2点。
磨石→叩石(?)が、1点。凹石が、1点。礫が、12点が確認されています。
  これらの資料から、

  • 土器が出てきたところと同じ場所で石器も出土している。
  • サヌカイトがほとんどを占める。
  • 剥片素材の定形石器は、石鏃に限られる。
  • 石鏃の未製品が見られる。
  • 剥片・砕片のほとんどはサヌカイト製である。
  • 打製石斧は、厚みがある。未製品と思われる。
  • 叩き石は、先端の傷が目立たないことから、石器を作るハンマーとしてではなく木の実などの殻を叩いて割るなどして使われていたと推測される。
  • 凹石は、表裏面の中央に凹みがある。凹みを利用して、木の実を割るのに用いていたと考えられる。
  • 凹み石は、全体の長さ10cm、凹み4cmと大きい。
  • 礫は、被熱したものがほとんど見当たらない。
  • 礫は、タール状の付着も見られなかったので、調理に利用されてないと考えられる。

ということが分かります。
 次に、旧石器時代の石材については、サヌカイトが、3点。黒曜石が1点と確認されています。
器種は、ナイフ形石器が、2点。細部調整剥片が、1点。剥片が1点です。
  これらの資料から、

  • 黒曜石製の細部調整剥片は、被熱していた。
  • サヌカイト製の石器は、縄文時代のものと比較して、風化していた。
  • ナイフ形石器は切り出し状であった。

ということが分かります。
 

8.今後の展開

 以上のことから、黄島貝塚についての調査は、まだ始まったばかりといえます。

  このことを参考に今後は、

  • 縄文時代の海外線の状況の把握
  • 黄島の旧地形の復元
  • 文様による縄文土器の分類
  • 文様の施文方法の解明
  • 押型文と無文の共伴関係
  • 文様別の出土傾向の把握
  • 貝類と土器・石器の廃棄状況の比較
  • 層位毎の出土遺物の違い
  • 黄島貝塚周辺の土地利用の解明

などの課題を今後の研究対象としていく方針です。

 最後になりましたが本発表にあたり、指導教官であります徳澤啓一先生を始め、小林博昭先生、白石純先生。
そして、同じ研究会にご出席されていた亀田修一先生(岡山理科大学 総合情報学部 生物地球システム学科)。
貴重な黄島の遺物と発掘調査記録そして多くの黄島関係資料を提供していただきました若松挙史さん(瀬戸内市教育委員会社会教育課)。

 また多くの研究者の方々から多大なご指導をいただきました。ありがとうございました。

【参考文献】

麻生優、白石浩之 1981『縄文土器の知識 草創・早・前期 考古学シリーズ14』〔東京美術〕
ウエスコ調製 1999『岡山県邑久郡牛窓町』牛窓町字図C(牛窓一島嶼部)
牛窓町 1997『牛窓町史 資料編U 考古・古代・中世・近世』〔牛窓町〕 pp.3〜128
岡山県教育委員会 2003『改訂 岡山県遺跡地図』〔岡山県教育委員会〕地図18〜19,pp.66〜70
岡山県史編纂委員会 1988 『岡山県史 第18巻 考古資料』〔山陽新聞社〕
国土地理院 1998「牛窓 方上」〔国土地理院〕
小林達雄 1994 『縄文土器の研究』〔小学館〕
若松挙史 2004「黄島貝塚確認調査概要報告」〔理大埋文研〕

HP文章:内藤博
調査報告作成:佐藤弘和・池澤恵梨・小沢加枝・内藤博
図表作成:佐藤弘和・池澤恵梨・小沢加枝・内藤博
写真提供:小林博昭先生・白石純先生
資料提供:若松挙史さん

発表者:佐藤弘和・池澤恵梨・小沢加枝・内藤 博
(岡山理科大学総合情報学部社会情報学科)

ご協力:小林博昭先生(岡山理科大学 総合情報学部 社会情報学科)
   白石純先生(岡山理科大学 自然科学研究所)
   徳澤啓一先生(岡山理科大学 総合情報学部 社会情報学科)
   若松挙史さん(瀬戸内市教育委員会社会教育課)
   太田明宏(岡山理科大学 総合情報学部 社会情報学科 03生,森ゼミ)