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2006/09/29

第13回

Nostalgia~追憶の軌跡~

内 藤  博

(長崎県長崎市出身,2004年入学)

 ガタンゴトン。ほぼ一定の同じリズムで、私は列車に揺られていた。暗いトンネルを抜け、窓の外を何気なくぼんやりと眺めていると、見覚えのある景色が徐々に見えてくる。 すると同時に、車内のアナウンスから聞きなれた駅の名前が放送され、ようやく列車の速度が遅くなっていることに気づく。やがて列車は駅に停車し、 荷物を片手に車内から出ると、懐かしい潮の香りが漂ってくる。周りを見渡せば、海が見え山が見え、そして街がある。岡山とは、まだ違った湿り気のある夏の暑さ。 いつもながら「故郷に帰ってきたんだなぁ・・・」と感じる。

  私は九州の長崎県の出身である。社会情報学科の学生は主に岡山県内出身の人が多いものの、少なからず岡山県外の出身であるという人も珍しくはない。だが、さすがに九州の出身であるという人は、ほんの数人しかおらず、私くらいなものだ。 そこで、この紙面上で、私の出身である長崎県を紹介したいと思う。

 幼い頃から、この地で生まれ過ごしてきた私にとって最近まで、あまり不思議に思わなかったのだが、長崎は本当に不思議な街である。自然豊かというのは当たり前だが、何といっても文化・伝統の歴史が独特といってよい。街を歩けば和風の家があり、オランダ風の造りをしている坂があり、中華街があったりと、和洋中の文化が混在しているである。 そして、街の中では、広い範囲で、路面電車が走っている。山を見上げれば、たくさんの住宅街が見える。都会の人々にとって、山の上まで家があるということは、とても信じられないことらしい。まさに長崎は異国情緒の豊かな街である。 これは、徳川の鎖国時代でも、出島を中心にオランダと中国との交易が認められていたことにあるだろう。そのため、現代もその文化の影響が根強く残っているといえる。

 また、長崎は独自の年間行事もたくさんある。8月9日の原爆の日をはじめ、長崎くんち、ランタンフェスティバル・・・と実にさまざまであるが、今回は、私の帰省時期がお盆ということもあったため、長崎のお盆行事である「精霊流し」を、 私の過去の経験とともに紹介してみたい。

 精霊流しは、“しょうろうながし”と読みます。これは、盆に来訪した精霊をあの世へ送り出す儀礼、つまり故人の霊を精霊船に乗せ、極楽浄土へ送り出すという日本の伝統行事のことです。
精霊流しの起源については諸説ありますが、代表的仮説としては、中国の「彩舟流し」という風習が伝わったものだと考えられています。彩舟流しとは、中国との貿易が盛んな頃に、 航海中や長崎に来て亡くなった中国人の菩提を弔うために行なわれた行事のことです。このような似た伝統行事は日本各地でも多く見られますが、その中でも長崎の精霊流しは、 各地の風習とは、かけ離れて独特の発展を遂げているといえます。
精霊流しは毎年8月15日の夜、県内各地で繰り広げられ、長崎市中心部では、爆竹や鉦(かね)が鳴り響く中、人々の掛け声とともに、大小さまざまな船が列をなします。

 幼い頃、夜中に船と共に街を歩きながら鳴らす爆竹の音がうるさく、何故、こんな行事をしなくてはいけないのだろうか?と思う時期もあった。

 そんな私がまだ中学生時代の頃、授業が終わり、休み時間を過ごしていた自分に先生から伝言が渡された。父の父 、つまり私の祖父が亡くなったという知らせだった。突然の知らせに大変驚き戸惑いを隠せなかったことを憶えている。葬儀は無事に終わり、月日は流れ精霊流しの季節がやってきた。その時期になると 、私の親族は私の自宅へ集まり、船を作り始めた。そもそも私の親族が全員集合するなど滅多にないことだ。あるといえば正月くらいだといっていいだろう。そんな親族が共に作りあう船(船を作るのは主に大人の男性が中心)が完成する流れを私は見続けていた。

 そして8月15日。まさか自分が、この服を着て街を歩くことになるとは思ってもいなかった。夕暮れとともに、船そして親族達は街を出た。街には、すでに何隻かの船が出ていた。次第に船は数を増し、爆竹の音、煙、人々の掛け声も、より一層、過激になっていた。そんな中、私達の船は街を歩きまわった。

 日頃、歩き慣れた道も、この日はいつもと変わって見えたことを今も憶えている。現在になって思い返すと、どの場所も祖父がよく訪れていた場所だった。レモンを片手に歩く祖父の姿、冬コタツに入り肩叩きを片手に「ひろし、肩をもんでくれんね~」とか 、もう聞くことはない懐かしい祖父の声が聞こえた気がした。まさに走馬灯のようだった。・・・数時間後、最終目的地である地元の陸上競技場に着いた。周りを見渡すと、 さまざまな種類、大きさの船が多数集まっていた。中には、お供え物を手に持ってやってくる家族もいる。最後には、この船達を燃やして供養するということを当時、知らなかった自分は、この船がどうなるのか祖母に尋ねた。

 それからというものの1年間に亡くなった御霊が街を歩くという感覚である、この精霊流しという行事を次第に不思議に思うようになっていった。

 現代社会では、故人への想い。そして伝統的風習が薄れてきているように時々感じられて仕方ない。そのため、この家族や親戚、親しい友人などが集まり、精霊船を自分たちの手で造り 、故人を偲び、御霊を送り出そうとする精霊流しの風習は全国的にも珍しいのではないだろうか。これこそ本当の意味での死者送りの行為だといえるだろう。

 また、長崎では、お墓で花火や爆竹を鳴らすという風習は珍しくはない。他県の人にとっては「何て罰あたりな」と思われるかもしれないが、長崎の人々にとっては「故人を賑やかに送る」という意思があるのである。
 きっと今年も親族の想い出とともに故人を乗せたさまざまな船が街を歩んだことと思う。私達はその気持ちを胸に抱き、次の世代へ繰り返し伝え続け、大切な故人のことを忘れてはいけないのである。

 他県の人から見れば精霊流しは、お祭り騒ぎのように見えるかもしれない。だが、お祭り騒ぎとはいっても、その根底には故人を送り出す厳かさがあるのは、誰もが感じられるはずだ。このような形で故人を偲び、御霊を送り出そうとする風習は、現代人が忘れつつある本当の意味での死者送りの行為に他ならないことであり、その奥には固い決意のような信念があると感じられる 。

 皆さんも、もし機会があれば一度、長崎という不思議な街を訪れ、精霊流しの夜を歩いてみてはいかがでしょうか?

 また、皆さんも自分の故郷の独特の文化・伝統を見つめ直してみるのも面白いでしょう。きっと今まで知らなかった何かを発見できるはずです。

精霊流し動画 (コメント:爆竹の音にビビリまくりです ~_~;)

 

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