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2007/11/20

第24回

Equestrian~馬術~

木 庭 祥 志

(岡山県岡山市出身,2005年入学)

 馬術というのを皆さんご存知ですか?

 ディープインパクトはご存知ですよね。2006年に大活躍した競馬の競走馬です。でも,馬術というのは,この一般に知られている競馬とは違います。馬に乗って行なうスポーツであることは同じですが,速さだけを競うのではなく,障害物を飛び越えたりして,「技術」を競う競技なのです。 また,国民体育大会やオリンピック競技の中で,唯一動物とともに競技をするものでもあります。「人馬一体」という言葉があるように,馬の気持ちを理解し,自分の気持ちを言葉を介さずに伝え合わなければならない競技なのです。

 私が馬術を始めたのは,小学4年生のころですが,本格的に馬術競技に参加し始めたのは,高校生になってからです。中学生のころにも,中国・四国大会などには参加していましたが,高校生から国体に参加が可能になるので,国体出場を目標に,現在も指導してもらっている西崎純郎さん(現在「乗馬クラブ ア・シュヴァル」のクラブ長)に指導をお願いしました。

 そのかいあって,1年生で,無事岡山県の代表選手に選ばれ,中国ブロック大会も通過し,第57回高知国体に参加することが出来ました。しかし,残念ながら,初めての国体に緊張してしまい,納得出来る結果は残せませんでした。

 翌年,高知県での屈辱を晴らすために,1年間必死に練習を重ね,春は県予選を楽に通過し,夏に行なわれた全日本ジュニア選手権に出場し,S&Hというスピードを競う競技で優勝することができました。心身ともに充実した状態で,秋の第58回静岡国体に臨むことができました。結果は,2つの競技で8位に入賞し,なんとか目標を達成することができました。

 高校生最後の年,2年生のときと同様に,春から夏にかけては順調に練習ができ,夏のブロック大会では国体出場を決めることが出来ました。ところが,この夏休みの終わりごろから,原因不明の頭痛に悩まされ始めました。最初は,すぐに治るだろうと思っていたのですが,10月になっても良くならなかったので,病院で検査すると,すぐに入院することになりました。 「髄膜炎」って病気になっていたみたいです。小さな子どもがかかるような病気らしいです。しかし,国体開幕まであと18日,入院期間は2週間,ギリギリで間に合う予定だけど,練習が出来ないのに大丈夫か?と自問自答しながら,何もすることがないので,イメージトレーニングをしていました。退院したら,練習する間もなく,すぐに第59回国体の行われる埼玉に出発。 開幕して最初の競技では,1つミスをしてしまって9位だったのですが,最終日のトップスコア競技で2位になりました。が,そのときの記憶がなく,競技中は体が勝手に動いていたようです。イメージトレーニングって大事だなと思いました。

 その後,岡山理科大学に進学し,地元岡山で行なわれる「晴れの国岡山国体」が半年後に迫っていました。僕があと1年遅く生まれていれば,少年選手として出場出来たのですが,高校を卒業してしまうと,そこからは成年男子(女性は成年女子)のカテゴリに分類されてしまいます。つまり,自分の師匠や全国で馬術を教えているプロと同じ土俵で戦わなくてはいけないのです。

 そのころの岡山県の成年男子は,地元開催ということもあり,全国に名を知られた選手が揃っていました。そのため,春の時点では僕の出場は予定されていませんでした。しかし,5月から国体会場の雰囲気になれるように,出場予定の馬を会場に移動させてトレーニングが始まったのですが,僕は大学を休学し,その練習に参加することにしました。もし,国体までに成年で通用する技術に上達すれば,出場できるかもしれないと思ったからです。

 そのときの生活はとてもしんどかったです。今になればいい思い出ですが。かくして半年間必死になって練習したかいがあり,もちろん肩を並べるどころか足元にも及んでいなかったのですが,監督に認められ何とか出場させてもらえるようになりました。今でも肩を並べてもいないのですがね。

 そして,ついに第60回岡山国体が開幕しました。始まってしまえば,時間の流れが速かったですね。あっという間に自分の競技の日が来てしまいました。結果からお話しすると,7位でした。目標は3位だったかな。内容的にもあの頃の自分のベストに近かったと思います。しかし,上位の選手を見ると,もし練習どおりに競技ができていたら,もう少し焦らなければ,優勝も可能だったかもしれない混戦でした。ただ,春から必死に練習していなければ,あの場に立つことも出来なかったことを考えると,結果的に入賞出来たことは,僕の馬術人生において非常に有意義な半年間だったと思います。

 昔の話ばかりで疲れました。ここからは,最近の話です。

 昨年の全日本ジュニア選手権で,私とファーノース号(写真)は決勝に進出し,6位入賞を果たしました。目標の3位以内には届かなかったものの,この結果に満足しています。なぜなら,人馬ともに100%の力を発揮できたからです。

 昨年の全日本ジュニア選手権,ヤングライダー障害飛越競技には,全国から46人馬が参加しました。2日間の予選競技を経て決勝に進出したのは,わずか18人馬。強豪の選手や昨年のチャンピオンまで予選落ちをしてしまう中,ほぼノーミスの9位で予選を通過しました。決勝では各馬に疲れも見られ,優勝候補であった選手にもミスがあった中,6位入賞は十分な結果でした。

 どんなスポーツでもそうだと思いますが,競技に参加する選手は日々精進し,晴れの舞台で100%の力を出せるよう努力をするはずです。それは,馬術競技でも例外ではありません。選手の調子だけよくても,馬の調子だけよくても上手くいきません。人馬双方の調子が競技内容に反映されるからです。

 馬術競技は,馬というパートナーとともに戦うスポーツの中でも特殊な競技ですが,私は,ファーノースにその醍醐味を味わわせてもらいました。このような結果が出せたのも,親や長年指導してくださっている西崎純郎さん,並びにパートナーであるファーノース号のお陰だと心から感謝しています。

 今年は夏のジュニア選手権も秋の国体も不本意な結果に終わり,冬に予定されていた全日本も馬インフルエンザにより延期となったため充実した1年にはなりませんでしたが,来年は,今まで以上の成績が残せるように頑張っていこうと思います。
 

【主な成績】
■第58回静岡国民体育大会 Newわかふじ国体 少年ダービー競技 8位
■第58回静岡国民体育大会 Newわかふじ国体 少年団体競技 8位
■第59回埼玉国民体育大会 彩の国まごころ国体 少年トップスコア競技 2位
■第60回岡山国民体育大会 晴れの国おかやま国体 成年男子ダービー競技 7位
■第27回全日本ジュニア障害馬術大会2003 ジュニアライダーS&H競技 優勝
■第30回全日本ジュニア障害馬術大会2006 ヤングライダー選手権 6位
■第58回全日本馬術大会2006 PartⅠ 中障害飛越競技B標準競技 5位
■2006年度 全日本強化指定選手

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