社会情報学科で学べる「歴史学」
志野敏夫 教授
■ 専門分野
 秦漢時代の軍事制度と礼制および科学技術史
 古代日本・朝鮮・中国間の交流史
■ 担当科目(学部)
 歴史学|東アジアの歴史|歴史資料解析|
 東アジア社会文化史|外国史
■ 担当科目(大学院)
 古代地域間交流史持論
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 「日本史」「世界史」は暗記物 − 高校までの「歴史」を勉強して来た人たちの中には、そのように思っている人が多いのではないでしょうか。でも、ただそれだけだとしたら、歴史を勉強することに何か意味があるのでしょうか。
 まず、実は、歴史は「もう起きてしまったことだから分かりきっている」とは言い切れないのです。そもそも、自然科学において証明するということは、誰にでも再現できる、ということですから、その考えからすれば、例えば織田信長が生きていたことを「証明する」ことは誰にもできません。あるいは、歴史の研究は、残されたもの・記録だけが手がかりですが、ならば、残されなかったモノは分からない、もっと言えば、私たちには存在していないも同然ということになります。中国では、2千数百年前には、少なくとも黄河流域と長江流域では、かなり性格の違う文明が存在していたことが明らかになりつつありますが、漢帝国ができた頃にも南方には越帝国とも言うべきものがあったという研究もあります。しかし、私たちは、秦の次に漢帝国が中国を統一したと習います。それは、漢帝国の人間が残した記録に頼って、その時代を見ているからでした。しかし、そうした中にも「ついうっかり」というような断片が残されています。歴史を研究するということは、わずかな資料から誰もが知らなかったことを推理していく、ゾクゾクするような作業です。
 また、同じ出来事に対しても、見る人によって、まったくとらえ方や考え方が違っていることがほとんどです。そして、ある人の考え方、・人生観というものは、その人が生きる社会の影響を受け、それは歴史的に築かれたものです。こうして、歴史を考えることが、またその人の人生観を形作っていくことにもなります。それはさらに、未来を見通す力にもなるのです。
 「歴史学の魅力」、とは、誰もがもう起こってしまった常識だと考えていることに疑問を持って、それをくつがえして新しい世界を提示し、そして未来を切り開いて行く、チャレンジ精神あふれた学問である、ということにあると思っています。
Department of Socio-Information, Faculty of Informatics, Okayama University of Science.