2006.2.20

社会情報学科の3つのゼミ(小林,志野,高野)の学生と,本学の博物館学芸員課程を受講している学生が野外調査に出かけました。そのちっちゃなドキュメンタリーです。



(写真1)
 

2005年11月3日 ,午前10時に吉備線吉備津駅に集合,吉備の中山ナカヤマへ行きました(写真1)。
晴れの天気で,どちらかというと,遠足気分です。
参加者は,考古学の小林教授,民俗学の高野助教授,歴史学の志野助教授,博物館学の徳澤講師に,それぞれのゼミの学生と博物館学芸員課程を受講している学生です。
さらに,岡山古代吉備文化センターの河合忍主事にも来ていただきました。


(写真2)

(写真3)
 

まず目指したのは ,中山のふもとにある「吉備津神社」(写真2)。
ここは岡山が「吉備」とよばれていた時の一の宮で,「吉備津彦命キビツヒコノミコト」が御祭神です。
創建がいつなのか分からないほど古く,室町時代建立の建物の形は日本全国でここしかない非常に独特なもので,都の貴族達にもその名が知られていた神社です。
吉備線そのものが,かつて明治天皇がこの神社を御参拝されるために引かれたということです。
この神社に伝わる「温羅ウラ伝説」は「桃太郎話し」の元になったと言われています(写真3)。


(写真4)
 

ちょうどこの日は「七五三」のお参りに来る人たちで大にぎわい。きっとお忙しかったと思いますが,宮司さんがわざわざ説明をしてくださいました(写真4)。今は屋根の葺き替えをしています。


(写真5)
 

説明を聞いた後,長い回廊を伝って「御釜殿」とよばれる場所に行きました(写真5)。
ここでは古くから「鳴釜神事」という,温羅伝説にまつわる変わった占いをしてくれます。この時もどなたか占ってもらっている人がいました。御釜殿の横では ,弓道の高校生大会が行われていました。


(写真6)
 

その後 ,中山のてっぺんを目指して山歩きです(写真6)。


(写真7)

(写真8)
 

頂上付近には,宮内庁により御陵指定をされている「吉備津彦命御陵ゴリョウ」があります。
ここでは文化センターの河合さんから解説を受けました(写真7)。
温羅というのは鬼で,この鬼を退治したというのが吉備津彦命なのですが,実はこの方は天皇の王子で,『日本書紀』には吉備を征服した人として記録されている人なのです。
温羅伝説には正史には載らない古代の歴史が隠されているかも知れません。
御陵の前は広場になっていて,なかなか眺めが良く,ここで昼食にしました。(写真8)


(写真9)
 

この御陵から少し下ると(写真9),岡山古代吉備文化センターです。


(写真10)
 

展示室はそれほど大きくはありませんが,内容はさすがに充実しています。いつでもだれでも無料で見学できます(写真10)。
小林先生や徳澤先生は,ここの方々とはお友達で,私たちはセンターのご好意で,展示室だけでなく,特別に資料整理室なども見学させていただきました。また ,ここへは小林ゼミの学生が「インターンシップ」で,働きに来たところでもあります。

ここで,学芸員課程受講の学生は解散。2時頃でした。


(写真11)

(写真12)

そして ,吉備津彦神社の「内宮」と言われる場所を調査しに出かけました。
文化センターの裏山に当たる所にあるとされるのですが,詳しくはセンターの方も誰もご存じないということ。
おおよその見当で,山登りをしたのですが,頂上には電波中継用の巨大な鉄塔がそびえていて,みんな「ホンマにこんな所にあるんかなぁ?」。
そうしたところを,高野先生と徳澤先生が,ヤブをかき分け突進,見つけました(写真11)。
大きな岩がいくつも訳ありな感じで(円形をなすように)ごろごろありました。さて ,吉備国の中心の大神社なのにこんなふうに内宮がうち捨てられてしまったのはナゼなんでしょう。場所といい,置かれている(?)岩といい ,不思議なことが一杯です。

気持ちのいいお天気で,11月にしては暖かく,紅葉はきれいだし,最高の一日でした。

なお,興味津々の有志学生が,解散後に,もう一つ別の「吉備津彦神社」にも足を延ばして見学に行っていました。そこにも「内宮」があり ,やはり列石があります!(写真12)